「ごはん」 (2025/6月 No.433より)
米価格の高騰により、毎日何気なく食べているご飯の有り難さ、日本米の美味しさを噛み締めている。それともう一つ、ごはんについて忘れられない出来事がある。
祖母、両親、姉二人と私の六人家族の我が家は、たぶん毎晩五合くらいのご飯を炊いていたのだと思う。その日はいつもより少なめで、母は「二合炊いておいてね」と言って出かけて行った。
うちは一般家庭にしては、わりと大きめのガス釜を使っていた。姉が米を研いで水を計り、しばらくしてからお釜のスイッチを入れた。ガスは炊けるのが早い。すぐに蓋を押さえていた二つの留め金がバン! バン! と大きな音を立てて外れた。何ごとかと近づいてみると、炊きあがりつつあるご飯がモクモクと蓋を押し上げて溢れ出してきていた。
まるでグラスからビールの泡が溢れるように。
全部炊き上がる頃には、ドレス姿のお姫様のようになった。ガス釜の重い蓋を押し上げてしまうお米のパワーに感心しつつ、溢れたご飯をどう片付けようかと思いながらも、姉と私は笑い出した。可笑しくてどうしようもなくてお腹が捩れるほど笑った。
お米を一合枡で計るところを一升枡で計ってしまい、二升のご飯が炊けたのだった。帰宅した母も笑い出した。後片付けをしながら皆がお腹を押さえて笑っていた。
およそ50年前の出来事だが、今でも思い出すと吹き出しそうになる。一人でニヤニヤ、笑いを堪えるのはつらいので、外では思い出さないようにしている。
これから先、お腹が捩れそうなほど笑うことがあと何回あるだろうか。毎日生活する中で、ちょっとしたご褒美としてもらえるものなのかもしれない。楽しいハプニングを待つことにしよう。
(S)
雑巾がけに助けられて (2022/12月 No.403より) [保存版]
森田先生の教えに出会えたことに感謝している。自分の母は、典型的な不安神経症だった。父にもその傾向が少しあり、親からの遺伝的な素質や親から教わる(誤った)思想を受け継ぎ、自分も随分長年苦しんできたように思える。
自分の思う「神経症についての森田先生の教え」は、至ってシンプルだ。まず、①「神経症は気質で治らない」とはっきり断言する。②「但し、とらわれを小さくすることはできる」③「それには手を動かして日常に必要な炊事、洗物、洗濯、掃除とりわけ雑巾掛けなどを行いなさい」というものだ。
森田先生の教えでは、神経症の原因は、(ア)観念的で (イ)独立心が欠如し、(ウ)幼弱性を残していることにあるという。そこで「現実をやすりにして、弱い自分の感性を鍛える」のだという。
自分は、雑巾掛けにどれぐらい助けられたかわからない。気質が治らない以上今の自分も、ともすれば神経症の世界に入りそうになる。が、今の自分はそこへ入り込まない術がある。若い人たちに語ってもどうも理解されてないみたいで、また、雑巾掛けなどの実施もされてないのかと思いこの点が少し残念だ。
ギリシャの時間のカウント法に「カイノス」というのがある。あることとの出会い前と出会い後を峻別する考え方だ。このことから言えば、森田先生の教えに出会えた以降の自分の時間に感謝し、今まだ苦しむ人たちに少しでも伝えることができたら自分は幸せだろうと思うこの頃です。
(T)
LET IT BE 400号おめでとう‼ (2022/9月 No.400号より) [保存版]
みなさま、ご無沙汰しております。もしくは、はじめまして。幽霊会員のSと申します。
この杉並の機関紙「LET IT BE」が、今月でなんと400号を迎えました! 本当におめでとうございます!
私がはじめて杉並集談会に参加したのは1987年でした。あれからもう35年になるんですね…。一応今でも幹事会のメンバーですが、発見会からいろいろ特殊な任務をさせられたり、またコロナのせいもあって、ここ数年お伺いできていなくて申し訳ありません。今は杉並のホームページのメンテナンスがおもな仕事になっております。
「LET IT BE」の話に戻りますが、あれは1989年だったでしょうか。当時の中心メンバーのひとりのTさんが、「ビートルズの〝LET IT BE〟って、〝あるがまま〟って意味だよね」と言いだしました。「確かにッ!!」と杉並のみんなで盛り上がり、以降「LET IT BE」は杉並を象徴する特別な言葉となりました。
LET IT BE (替え歌・杉並バージョン)
つらい苦しみの中で 思い出す言葉♪ あるがままに LET IT BE♪
マリア様が僕にくれた 大切な言葉♪ あるがままに LET IT BE♪
LET IT BE, LET IT BE, LET IT BE, OH LET IT BE♪
すべて あるがまま LET IT BE♪
こんな風に替え歌にして、集談会でみんなで歌ったりしていました。ある時集談会で会誌を作ろうということになり、タイトルは満場一致で「LET IT BE」に決まりました。創刊号は1989年6月18日発行、B5版全18ページでした。その後次回の開催案内を目的としたA4ペラに姿を変え、今日に至っています。
しかしまさか400号まで続くとは! 制作を一人で担う代々の担当者のおかけです。本当にありがとうございます。 語りたいことはまだまだありますが、それはまた別の機会に。でわでわ〜♪
(S)


発見会と感染症 (2022/8月 No.399より) [保存版]
感染症が流行して以来、世の中、そして私自身の日常が大きく変わってしまった。私はこれを異常に恐れ、日常生活がままならなくなっていった。なかでも何度も手を洗ってしまうのは、その後の行動に移れず、やらなければいけないこともできないときが度々あり、自分自身を追い詰めていった。
また、感染するのではないかと恐怖に感じ、電車やバスなど乗り物にも乗れなくなってしまった。
私は、今まで対人関係で悩んでいると思ってきたが、確認や乗物恐怖もあることがわかった。症状はそれぞれ違っても根は同じであると以前学習したが、今回の体験をとおして改めて認識できた。
感染症が流行して以来、約1年半は恐怖に怯え、自分で自分をマイナスの行動に追い詰めていった。
そんななか、病院受診のため熱海まで行かなければならなくなった。
感染したらどうしようという予期不安に押し潰されそうになったが、熱海まで電車で往復した。乗車中は不安で生きた心地がしなかった。必要に迫られてであるが、電車に乗れ、感染もしなかったという事実を確認することができ、感染症に対する恐怖心が少し和らいだ。
そして、それまでできなかった集談会への参加もできるようになった。杉並集談会の皆さんと直接顔を見て話せ、心の中が軽くなっているのを感じた。しばらくぶりの参加でも温かく受入れてもらえたのも嬉しかった。
今回の経験で、事実を確認することの大切さを知ることができて良かった。また集談会のありがたみを痛感した。
ここ数週間でコロナ感染者数が爆発的に増えている。杉並集談会の皆さんも、感染しないように気をつけましょう。感染収束を願いつつ……。
(H)