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デジタルうつ (2024/4月 No.419より)

 20代後半に海外の医学書を扱う会社に就職した。当時の文章作成機能はワープロで、タイプライター世代にとっては魔法の器機だった。日本の販売ルート拡大のため、欧米の医学書関連の版元との交渉担当になった。移動手段としての飛行機は恐怖の対象だった。体も心もこちこちに固まっていた私にとって、長谷川先生の言葉は、水のように心に沁みた。先生を通した森田の教えが新しい世界に私を誘ってくれた。
 現役最後の就職先はある大学の医学部で、ドクターたちの論文校正が与えられた作業だった。肩がはる根気のいる仕事だったが、毎日8時間のデスクワークのなかで、パソコンが唯一私の相棒、頼もしい秘書の役割を担ってくれた。検索機能を駆使し、世界中から瞬時に必要情報を取り込んでいた。さらに、かたわらにパソコンのトラブルに対応できる優秀なお助けマンの存在があった。「Uさん専用じゃないの」と周囲からはにらまれていたと思う。リタイア後、自宅で短期間翻訳の仕事を請け負っていたが、そこにもうお助けマンはいない。悪戦苦闘の毎日で、私の心は徐々に疲弊していった。現役から離れて、のんびりと暮らしている間に、パソコン、スマホなどとできるだけ距離を置くようになった。つまり触れたくない。この状態を自分で〝デジタルうつ〟と診断した。これからますます加速するであろうデジタル社会での枠内での生き残りは、私には期待薄だと思う。まあ仕方ない。今は、ネコたちとの日常がなにより愛しい。

 (U)

雑巾がけに助けられて (2022/12月 No.403より) [保存版]

 森田先生の教えに出会えたことに感謝している。自分の母は、典型的な不安神経症だった。父にもその傾向が少しあり、親からの遺伝的な素質や親から教わる(誤った)思想を受け継ぎ、自分も随分長年苦しんできたように思える。

 自分の思う「神経症についての森田先生の教え」は、至ってシンプルだ。まず、①「神経症は気質で治らない」とはっきり断言する。②「但し、とらわれを小さくすることはできる」③「それには手を動かして日常に必要な炊事、洗物、洗濯、掃除とりわけ雑巾掛けなどを行いなさい」というものだ。

 森田先生の教えでは、神経症の原因は、(ア)観念的で (イ)独立心が欠如し、(ウ)幼弱性を残していることにあるという。そこで「現実をやすりにして、弱い自分の感性を鍛える」のだという。

 自分は、雑巾掛けにどれぐらい助けられたかわからない。気質が治らない以上今の自分も、ともすれば神経症の世界に入りそうになる。が、今の自分はそこへ入り込まない術がある。若い人たちに語ってもどうも理解されてないみたいで、また、雑巾掛けなどの実施もされてないのかと思いこの点が少し残念だ。

 ギリシャの時間のカウント法に「カイノス」というのがある。あることとの出会い前と出会い後を峻別する考え方だ。このことから言えば、森田先生の教えに出会えた以降の自分の時間に感謝し、今まだ苦しむ人たちに少しでも伝えることができたら自分は幸せだろうと思うこの頃です。

(T)

LET IT BE 400号おめでとう‼ (2022/9月 No.400号より) [保存版]

みなさま、ご無沙汰しております。もしくは、はじめまして。幽霊会員のSと申します。

この杉並の機関紙「LET IT BE」が、今月でなんと400号を迎えました! 本当におめでとうございます!

私がはじめて杉並集談会に参加したのは1987年でした。あれからもう35年になるんですね…。一応今でも幹事会のメンバーですが、発見会からいろいろ特殊な任務をさせられたり、またコロナのせいもあって、ここ数年お伺いできていなくて申し訳ありません。今は杉並のホームページのメンテナンスがおもな仕事になっております。

「LET IT BE」の話に戻りますが、あれは1989年だったでしょうか。当時の中心メンバーのひとりのTさんが、「ビートルズの〝LET IT BE〟って、〝あるがまま〟って意味だよね」と言いだしました。「確かにッ!!」と杉並のみんなで盛り上がり、以降「LET IT BE」は杉並を象徴する特別な言葉となりました。

LET IT BE (替え歌・杉並バージョン)

つらい苦しみの中で 思い出す言葉♪ あるがままに LET IT BE♪

マリア様が僕にくれた 大切な言葉♪ あるがままに LET IT BE♪

LET IT BE, LET IT BE, LET IT BE, OH LET IT BE♪

すべて あるがまま LET IT BE♪

こんな風に替え歌にして、集談会でみんなで歌ったりしていました。ある時集談会で会誌を作ろうということになり、タイトルは満場一致で「LET IT BE」に決まりました。創刊号は1989年6月18日発行、B5版全18ページでした。その後次回の開催案内を目的としたA4ペラに姿を変え、今日に至っています。

しかしまさか400号まで続くとは! 制作を一人で担う代々の担当者のおかけです。本当にありがとうございます。 語りたいことはまだまだありますが、それはまた別の機会に。でわでわ〜♪

(S)

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発見会と感染症 (2022/8月 No.399より) [保存版]

感染症が流行して以来、世の中、そして私自身の日常が大きく変わってしまった。私はこれを異常に恐れ、日常生活がままならなくなっていった。なかでも何度も手を洗ってしまうのは、その後の行動に移れず、やらなければいけないこともできないときが度々あり、自分自身を追い詰めていった。

また、感染するのではないかと恐怖に感じ、電車やバスなど乗り物にも乗れなくなってしまった。

私は、今まで対人関係で悩んでいると思ってきたが、確認や乗物恐怖もあることがわかった。症状はそれぞれ違っても根は同じであると以前学習したが、今回の体験をとおして改めて認識できた。

感染症が流行して以来、約1年半は恐怖に怯え、自分で自分をマイナスの行動に追い詰めていった。

そんななか、病院受診のため熱海まで行かなければならなくなった。

感染したらどうしようという予期不安に押し潰されそうになったが、熱海まで電車で往復した。乗車中は不安で生きた心地がしなかった。必要に迫られてであるが、電車に乗れ、感染もしなかったという事実を確認することができ、感染症に対する恐怖心が少し和らいだ。

そして、それまでできなかった集談会への参加もできるようになった。杉並集談会の皆さんと直接顔を見て話せ、心の中が軽くなっているのを感じた。しばらくぶりの参加でも温かく受入れてもらえたのも嬉しかった。

今回の経験で、事実を確認することの大切さを知ることができて良かった。また集談会のありがたみを痛感した。

ここ数週間でコロナ感染者数が爆発的に増えている。杉並集談会の皆さんも、感染しないように気をつけましょう。感染収束を願いつつ……。

(H)

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